「今を生きる」とは
「今だけを生きなさい」というメッセージは、
多くの経営者や仏教の教え、『嫌われる勇気』でも
言及されているほど、よく耳にする考え方です。
一方で、「今を生きる」の意味をはき違え、
ひたすらに心と体を消耗してしまうこともあります。
今回は、消耗してしまう考え方と失敗談をお話します。
Contents
【今を生きる=没頭すること?】
私は会社員時代、「今は仕事にだけ集中すればいい」と考えるほど、
仕事に没頭している時期がありました。
その頃は、店長に昇格するか否かという大事な時期だったため、
プライベートの時間も削って仕事のことばかり考えていました。
そういう意味では、私は「没頭」していましたし、
忙しい日々でも不思議と「苦しい」とは思うこともなく、
むしろ人生で一番充実しているとさえ感じていました。
実際、没頭すればするほど自分が成長していると実感できたし、
「これが”今を生きる”ということか!」と信じて疑いませんでした。
【今を生きたのに、燃え尽き症候群】
私の職場もコロナの緊急事態宣言で職場が丸2か月も休業になり、
夢中になっていた仕事がプッツリと途切れることになります。
それをキッカケに、
「仕事をしていない自分に意味なんてあるのか」と、
強烈な燃え尽き症候群に苦しむ羽目になりました。
よく「仕事」や「子育て」を必死になって頑張ってきた人が、
定年退職や子供の自立をキッカケに生き甲斐を失い、
無気力状態に陥るという話を聞いたことはあるでしょうか?
燃え尽き症候群とか、空の巣症候群とも呼ばれるそうですが、
こうした人も、それぞれの環境や立場で、
「”今”を懸命に生き続けた」はずなのに、
なぜ心が折れてしまったのか?
とても疑問だったのですが、その気持ちが何となく分かりました。
恐らく、それと同じような状態だったのだと思うのです。
「今まで頑張ってきたけど、俺はどうしたかったんだっけ?」
と、強制的に立ち止まって考えることになりました。
「コロナ鬱」というワードが話題になったことを考えれば、
私と同じような状況に置かれた方は多いのではないでしょうか。
【自分の本音や想いを無視していないか】
私が燃え尽きた原因は、
①無意識のうちに「頑張ることが目的化」していた
②自分の本音や想いに意識を全く向けていなかった
③「任された以上は頑張る」と、受け身の姿勢で没頭していた
の3つが挙げられます。
①~③は全てつながっているのですが、
●「頑張ること」が目的化する
↓
●根本的に「自分はどう生き、どうしたいのか?」という
「自分の本音や想い」に意識を向けずに過ごす
↓
●「いま頑張れていればそれでいい」と、
前進をしている自分に満足してしまう。
↓
●しかし、それは自分が望んでいることではなく、
「自分に任された以上は、頑張らないとね」
と、どこか受け身な姿勢であった。
むしろ、「やりたいこと」に気を取られ過ぎると、
目の前の「やるべきこと」が疎かになってしまうから、
余計な願望は持たない方が良い、とまで考えていました。
「仕事に真剣に向き合えば、新しい仕事を任され、
結果的に出来ることや選択肢が増えてくるだろう」
そんな考えだったのです。
一見、現実的な考えでありながらも、
どこか自分の「心」を抑圧し続けていたのだと思います。
【受け身な”没頭”はリスクも伴う】
「自分の役割だけに没頭していればいい」
この考え方は現実的である一方で、大きな矛盾も含んでいます。
「自分の役目だけに没頭していればいい」ということは、
今回のようにコロナなどの騒動をキッカケに
その役目を遂行できなくなった途端、
自分の生きがいを失うことになるからです。
その役割というのが、
「自分で納得したうえで、自分に課した役割」
ならば、自ら軌道修正したり、
リスクを最小限に留めるための行動を取れますが、
「他人に一方的に要求された役割」
「自分の意志に反して与えられた役割」
をずっと続けていた場合は、
文字通り「振り回される」リスクが圧倒的に高まります。
「なんでこんなことになるんだよ!」
「こんなに必死にやってきたのに、もうおしまいだ!」
と、周りに責任を押し付けたくなってしまうのです。
【コロナ渦がもたらしたもの】
2008年のリーマンショック、
2011年の東日本大震災、
そして2020年のコロナ渦。
これらの人災や天災が共通して伝えているメッセージは、
●自分の人生の舵取りは、自分でしなさい
ということだと思います。
「私は自分の人生を必死に生きている!」という人も、
実は他人から要求された役割を必死にこなしていただけ、
ということはままあります。
出来事に振り回されるのではなく、
自分の意志で考え、選び、行動する。
どんな立場で働くにしても、こうした姿勢が
求められてくるのではないでしょうか。